2013年11月24日日曜日

少年ラケット (記憶がなくなっても、体が覚えてることってある?)

今回は、週刊少年チャンピオン51号掲載の読み切り、少年ラケットを例に、覚えていなくても(記憶がなくなっても)体が覚えていることがある仕組みについてご紹介したいと思います。

普通、やり方を忘れれば出来なくなるのが常識的な考え方だと思いますが、自転車の乗り方や泳ぎ方などは、数年間やっていなくても、また特に思い出そうと意識しなくても、意外にできることが多くあります。
 これはどういった仕組みでできるものなのでしょうか?
また、これはもし記憶喪失になってもできるものなのでしょうか?


※※ ここからネタばれを含みます。ご注意ください ※※

まずは、今回例に出した「少年ラケット」のあらすじから。

主人公のイチローは、1年半前にアパートの火事で家族を含め全てを失いました。そしてそのショックで、火事が起こる以前の記憶も失っていました
そんな状況で中学に通い、野球部の1年として活動していたある日、中村ヨルゲン(以降ヨル君)という同級生くらいの男の子が、彼を訪ねてやってきます。

ヨル君は現在のイチローの状況を本人から聞き、彼を卓球部へと連れて行きます。
そして何故連れてこられたのかもわからないまま、イチローはヨル君の卓球の相手をさせられることになります。

そしてイチローがペンラケットというタイプのラケットを持った瞬間に、イチローは何かを感じ、ラリーを続けて行くうちに体が自然と動くようになり、相変わらず記憶は思い出せないにも関わらず、卓球の全国上位者であるヨル君からポイントを取ってしまいます

そして、自分が記憶を無くす前は卓球を父親に習っていたことと、自分の名前「イチロー」の意味を知り、父親が残してくれた絆を感じて、卓球の道へと戻っていきます。


ここから、今回のブログのテーマに入ります。

まず、「体が自然に動く」「体が覚えている」というのはどういうものなのでしょうか?

「覚えている」という言い方をする通り、これは記憶のひとつです。

記憶に関する考え方はいろいろあると思いますが、主流な考え方のひとつとして「宣言的記憶」と「手続き的記憶」の2種類に分ける方法があります。
以下はそれぞれの特徴です。

宣言的記憶

教科書の内容など、学習や知識の記憶。忘れてしまうこともあるが、頻繁に使う記憶に関しては長い間覚えておくようになる。

手続き的記憶
言葉では説明しづらいが、意識しなくても使える記憶。意識して行っていないのに何故かできるもの(自転車の操作、楽器の演奏、キーボードのタッチタイピングなど)が当てはまり、ずっと忘れずに覚えていることもあります。

つまり「体が覚えている」というのは、手続き的記憶に当てはまります。


では、記憶を失っても手続き的記憶は残ったままになるのでしょうか?

結論からいいますと、必ずしもそうとは言えませんが、残ることもあるようです。

これは宣言的記憶と手続き的記憶が、脳の違う部分で管理されていることが要因のようです。
宣言的記憶は海馬と呼ばれる部分で、手続き的記憶は大脳基底核(大ざっぱな動き)と小脳(細かな調整などの動き)というところで管理されています。

なので、もし海馬に何か問題が発生するなどが原因で記憶喪失になったとしても、他の部分に問題がなければ、今回の例のように卓球をやった記憶がなくてもできる可能性はあるようです。


以上、記憶がなくなっても体が覚えていることがある仕組みについてのご紹介でした。

昔かなりやった記憶のあるものは、何故か急にやりたくなることってありますよね。
ついこの間ちょうどその機会があって、昔に総額6桁の金額をつぎ込んだアーケードゲームをやりにいったのですが、筐体がなくなっててできなかったという悲しい出来事があった…のは関係ないですね(笑)

読み切りでストーリー物は、いろいろな細かい描写が入っていることが多くてとても感動します。
今回は知らなかった偉人も知れたし、動きがあって卓球のスピード感とかも感じられて面白く、もう何話か見てみたいなあと思える、少年誌らしい良い作品だと思いました。

また他の話も見る機会あると嬉しいな!

(※ 掲載した画像は紹介作品からの引用で、著作権は作者および出版社にあります)

SNS